【村指定有形文化財】千早の凍り豆腐づくりとその道具
凍り豆腐のはじまり
凍り豆腐はかつて千早村(現在の千早地区)で製造されており、高野豆腐のことをいいます。江戸時代後期には千早村で製造が始まっていたとされ、昭和初期は工場が50件以上立ち並ぶほど盛んに製造されていました。
凍り豆腐はその名のとおり、自然に凍らせて作るので寒い地域でないと製造することができませんでした。その当時から千早村は気温が低かったため、製造に適していた地域だったとされています。
凍り豆腐づくりのさいご
戦後間もないの頃の日本は食糧難だったため、凍り豆腐は貴重品扱いされました。昭和30年頃に人口冷凍機の設置で大量生産ができるようになりましたが、食糧事情の好転による需要の減少や工場の運営状況の悪化などが理由で、昭和45年にすべての工場が閉鎖し、凍り豆腐づくりの歴史に幕を下ろしました。
展示されている道具
村指定文化財になっているのは、凍り豆腐を作るときの道具です。豆腐の原料となる大豆を煮て潰すための道具や豆腐を切って大きさを整える道具など、製造過程の一連の流れが分かる道具類と作り方が郷土資料館の2階展示室で観ることができます。


- この記事に関するお問い合わせ先
更新日:2024年07月30日