国史赤阪城跡(下赤坂城跡)

赤阪城は、金剛山から北方向へのびる尾根上に位置しています。
城郭としての遺構は不明瞭ですが、周囲には「甲取」「矢場武」など、城に関連する字名が残っています。
元弘元年(1331)に楠木正成が挙兵に合わせて築城したことで知られていますが、塀を一重巡らし、櫓を2,30程度設置しただけの施設でした。
そのため、撤去を余儀なくされ、敵の手にわたってしまいます。
しかしその後、正成の奇策により奪還したとされています。
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赤阪城は、金剛山から北方向へのびる尾根上に位置しています。
城郭としての遺構は不明瞭ですが、周囲には「甲取」「矢場武」など、城に関連する字名が残っています。
元弘元年(1331)に楠木正成が挙兵に合わせて築城したことで知られていますが、塀を一重巡らし、櫓を2,30程度設置しただけの施設でした。
そのため、撤去を余儀なくされ、敵の手にわたってしまいます。
しかしその後、正成の奇策により奪還したとされています。
更新日:2023年10月20日