国史千早城跡
千早城跡は、金剛山の登山口に位置しており、元弘2年(1332)に楠木城とともに中心的な山城として築城されました。
この山城には、現在も多数の曲輪が確認できます。
特に四の丸と呼ばれる曲輪は規模が大きく、礎石とされている遺構の一部が見られます
また、現在二の丸には千早神社が建っており、その裏の曲輪が主郭(本丸)とされていますが、主郭へは立ち入ることができません。
さらに、千早城は激しい籠城戦でも落城しなかった城として知られています。
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千早城跡は、金剛山の登山口に位置しており、元弘2年(1332)に楠木城とともに中心的な山城として築城されました。
この山城には、現在も多数の曲輪が確認できます。
特に四の丸と呼ばれる曲輪は規模が大きく、礎石とされている遺構の一部が見られます
また、現在二の丸には千早神社が建っており、その裏の曲輪が主郭(本丸)とされていますが、主郭へは立ち入ることができません。
さらに、千早城は激しい籠城戦でも落城しなかった城として知られています。
更新日:2023年10月20日